1813年10月10日にジュゼッペ・ベルディは イタリアのロンコレ村に生まれました。
当時この村はナポレオンのフランス占領下にありましたが、わずか3ヶ月後には
ナポレオンがロシア遠征に失敗し、敗退の途上にこの村を通り、追い打ちをかけてきた
ロシアとオーストリアの軍隊の侵入を受け、その時から村はオーストリアの支配下に
転じました。
両親は、食料品店・酒場兼宿屋を営んでいました。両親とも音楽とは縁がなく、
この田舎の村で、ふだん聴ける音楽といえば、教会のミサ時の合唱やオルガン、
あるいは時折立ち寄る旅楽師のヴァイオリンの音くらいでした。
結婚式が教会で行われれば店は宴の場となり、人々は旅楽師が奏でる民謡や
オペラのメロディーに合わせて踊りました。
生家の前にサン・ミケーレ教会があり、そこの老オルガン奏者バイストロッキから
音楽の手ほどきを受けたようです。
村で唯一の教会は、子供たちの学校でもありました。幼いベルディーが音楽に
異常な関心を示すので、バイストロッキは楽譜の読み方やオルガンの弾き方を
教えました。
幼いころオルガンを弾くのが大好きで、家にいないときは たいてい
教会で紅葉のような手で 熱心にオルガンを弾いていました。
司祭は彼のことを大変可愛がり、オルガンの鍵盤に届くように、椅子を改良して
くれたといいます。
父親はベルディーのために中古のスピネット(家庭用小型チェンバロ)を買って
あげました。むろんベルディーはスピネットに熱中し、スピネットは激しい練習に
耐えきれずに壊れてしまいます。
ステーファノ・カヴァレッティという巡業調律師はベルディの才能に感嘆し、
修理代金は取らずに無償でハンマーの修理をしたということです。
はじめに彼の音楽的才能に気付き、両親に進言してくれたのが、旅音楽師
だったようです。
1年ほどの勉強でめきめきオルガンが上達し、8歳になったベルディーは
バイストロッキに代わって、しばしばミサのオルガンを弾くようになりました。
バイストロッキはベルディの並々ならぬ才能を見抜き、ブッセートに送って
音楽の勉強をさせるように両親に強く勧めました。
10歳の時にブッセートの町一番の資産家バレッツィーの援護を受け、ひとり村を出て
ブッセートに移ります。
ロンコレ村からブッセートまでは約5キロありましたが、ベルディは村の音楽奏者も
続けていたのでこの田舎道をよく歩いて往復していたと言います。
バレッツィーは有能な商人でしたが、余暇のほとんどを音楽に捧げるほど
音楽好きでした。楽友教会を復興し、指導者にプロヴェージという作曲家を
選びました。
バレッツィーは大きな可能性を秘めたベルディーを息子のように可愛がり、
プロヴェージのレッスンを受けられるようにします。
そして、ベルディーはブッセートで順調に成長していきます・・・。
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