ヨハン・セバスチャン・バッハは、アイゼナハの教会ヴァイオリニスト、ヨハン・アンブロジウスの
8番目の子供として生まれました。
バッハ一族が 5代に渡って住み着いていたチューリンゲン地方は、ルターの出身地でもあり、
30年戦争で荒れ果てていましたが、熱心なプロテスタントの多い地方でした。
バッハ一族はこの地方一帯に散らばって 何かしら音楽関係の仕事をしていましたから、
この地方でバッハといえば 音楽家とすぐにわかったようです。
生まれた時から音楽に囲まれ、音楽が大好きだったようです。
3歳頃には既によく唄を歌っていたようです。
3歳年上の兄ヤコブに 父親や長兄が音楽を教えるのを そばで聴いているだけで、
兄より早く覚えてしまったらしく、4歳ではもう立派に歌いこなせていたということです。
バッハは幼い頃より歩くこと・走ることも大好きだったようで、足の丈夫な自然児でした。
知識欲も凄まじく、読書も大好きでした。
ルターの影響もあり、中でも神学に興味を持っていたと言われています。
8歳になって 聖ゲオルク教会付属のラテン語学校に入学します。
ここで合唱隊として様々な行事に参加して 小遣い稼ぎもするのですが、
美しいボーイソプラノのバッハは合唱隊の花形で、どこでもひっぱりだこでした。
そのため学校の欠席も多いのですが、勉強好きのバッハは 独学で人以上の知識を身につけ、
3歳年上の兄よりも成績は上であったそうです。
合唱隊の行事のために 徒歩旅行をしばしばしたようですが、バッハは徒歩旅行が好きで
頑丈な足が鍛えられ、これがパイプオルガンの演奏に大いに役立ったと言われています。
9歳で母親を亡くし、10歳で父親をも亡くし、孤児となったバッハは 長兄クリストフに引き取られます。
クリストフはオルガニストで 弟に対して父のようであり、また良き音楽の先生でもありました。
バッハは家計を支えるために、昼間は ほとんど合唱団の仕事に費やしていたといいます。
この時期に有名な「月光写譜」のエピソードがあります。
灯りのない当時、勉強好きのバッハは,月光の明るい夜はこっそりと屋根裏部屋にしまってある楽譜を
写すようになったのです。
それがクリストフにばれて、怒られました。
クリストフはバッハの才能を見抜いており、熟練した音楽家の影響を 小さいうちにへたに受けて
創造性を損ねてしまうことを恐れていたようです。
その後クリストフは教会に連れて行って、初めてバッハにオルガンを弾かせてみました。
バッハはこれまで機会あるごとに オルガンを熱心にみてきて、
修理があるときなどは駆けつけて細部までよく見るようにしていたようですが、
弾いたことは ありませんでした。
おじさんの演奏等はよく聴いて来たかもしれませんが、みごとにオルガンの弾き方を習得していたようで、
その演奏を聴いたクリストフは弟の才能に驚きました。
11歳の頃のことです。
それをたまたま影で聴いていたエリアス・ヘルダというカントルも、バッハの才能を記憶し、
後に 聖ミハエル学校の給費生に推薦してくれるようになります。
そして、これをきっかけに 14歳で聖ミハエル教会の給費生になり、
ここからは身内に頼ることなく、一人で自活していくようになります。
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