モーツァルトの幼少期 

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モーツァルトの幼少期


      このページは、天才モーツァルトの幼少期について、
簡単に御紹介させていただきます。
             
  
 


  ボルフガング・アマデウス・モーツァルトは、オーストリアのザルツブルクに生まれました。
当時は啓蒙思想がおこりつつあり、政治・科学・哲学等の分野で急速な変化がありました。

   レオポルトとアンナ・マリアの 7番目の子として生まれましたが、当時は幼児の死亡率が高く、
無事に育ったのは、4歳年上のナンネルとモーツァルトだけでした。

  父親のレオポルトはすぐれた音楽家で、宮廷ヴァイオリン奏者であり、
宮廷室内作曲家・宮廷楽団の副学長でもありました。

  ヴァイオリン・クラビコードを弾けるだけでなく、指揮・作曲もでき、音楽の教則本もかいていたようです。

  家には様々な楽器が手の届くところにあり、常に音楽で満ち溢れていました。

  姉のナンネルのクラビコードの稽古を聴きながら育ち、
3歳頃からクラビコードを遊びで弾いていたようです。

  コップをたたいて音程を聞き分けたり、クラビコードを弾いたり・・・
音楽で遊ぶことが何より大好きだったようです。

  4歳になると父親にクラビコードを教えてと、猛烈に駄々をこねるので
本格的に父親が教え始めたようです。

  それからは、ほかの遊びには見向きもせず、夢中でクラビコードを弾き、
めきめきと上達していきました。

  4歳の頃にはすでに逸話が残っています。
弦楽三重奏の新曲をさらうため 集まってきた父親の仲間との練習を、
じっとモーツァルトはそばで聴いていました。
そのうち、ヴァイオリンのパートを弾かせてと駄々をこねるので、弾かせてみたそうです。
すると、今まで観察して聴いていただけで 習っていないはずのヴァイオリンを、
譜面も間違えずに弾いてしまったというのです。

  もちろん、ヴァイオリンは家にありましたので 一人でさわって遊んでいたのでしょう。

  しかし、教えてもいないヴァイオリンを、4歳の子供がマスターしてしまうわけですから、
驚きも大きく、一緒に練習していた仲間の一人が、しっかりと記録を残しています。

  そしてまたその後、今度は作曲までやり始めて、父親やその仲間を驚かせています。

  5歳頃には譜面も書いていたようです。

  6歳頃までには技術面で姉を既に追い越し、次々と作曲していました。

  音楽家の父親が、その稀に見る才能を認識し始めてから 
音楽の基本を徹して教えていきました。

  そして父親は、本格的に子供たちを 音楽界にデビューさせるため、
また子供の天才を伸ばすために、ヨーロッパの音楽が盛んな都に 
共に旅をするようになります。

  ミュンヘンの謝肉祭を手はじめに 演奏旅行をする中で、
その天才性を世に広めていくようになります。  

  6歳でのウィーン旅行中マリア・テレジアの前で演奏し評判になり、
7歳でパリへ行き、ルイ15世の前で演奏する機会も得ます。

  8歳にはロンドンでクリスチャン・バッハに指導を受け、オランダでは病気になりますが
再びイタリア旅行に出て、14歳でローマ教皇より黄金拍車勲章を贈られます。

         


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