ショパンの幼少期 

シ ョ パ ン の 幼 少 期

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ショパンの幼少期


         このページは、こよなくピアノを愛し続け、
      秘めた激情の思いを曲に残したショパンの幼少期
について、
      簡単に御紹介させていただきます。 
 


  フレデリク・ショパンは、1810年ポーランドの首都ワルシャワに近い、ジェラゾバ・ボラという町に
生まれました。

父親はフランス人でしたが、若い頃ポーランドに来て たばこ工場の会計係をしていました。
ポーランドは内乱が続き、1772年ごろから分割され、ついにロシア・プロシア・オーストリアの支配を
受けるようになります。
 フランス人の父親もポーランド人になる覚悟をしていて、たばこ工場がつぶれると
ポーランド貴族にフランス語を教えて生計を立てました。

 そこで知り合った伯爵家の娘がショパンの母親です。結婚後、父親は上流階級の子供を預かって育てる
寄宿舎を経営し、生活は落ち着いていました。

 ショパンは姉に続いて長男として生まれました。あとは妹2人で、女兄弟に囲まれて育ちます。

 両親とも音楽が好きで、父親がヴァイオリン・母親がピアノを合わせ始めると ショパンはよくピアノの下に
もぐりこんで演奏に聴き入っていたといいます。聴いた曲をすぐに再現できるショパン・・・初めは母親に
ピアノを教わっていたようですが、母親では教えきれなくなり、6歳からジプニー先生に教わりました。

 ジプニー先生は、ショパンの並外れた感受性と才能を認め 広めたため、時々貴族の家に招かれてピアノを
弾くようになりました。既に作曲も始め、舞曲や変奏曲を作っています。
 8歳の時には公爵の宮殿で初めて独奏会をして、大成功しています。

 11歳でワルシャワ音楽院長エルスナー先生に音楽全般を教わるようになります。エルスナー先生は
作曲・ヴァイオリン演奏を得意とし、指揮者としても名高く 教育者として尊敬されていました。彼を通して
様々な作曲家たちの話をたくさん聞けたようです。

 13歳には高等教育を受けるためにワルシャワの中学に編入します。歴史と演劇に没頭していたようです。
体の弱いショパンは、夏休み中は田舎で療養を兼ねて過ごしたようです。

 ポーランドでは祖国解放を目指す地下運動が激しくなっていましたが、ロシア皇帝の前で新しい楽器の
演奏を依頼されて弾く機会もありました。政治活動家が弾圧される中、ショパンの心にも 祖国に対する
思いが育まれていったようです。

 中学卒業後、ワルシャワ音楽院へ進みました。古典和声学では物足りず、先生方の教えを素直に
受ける生徒ではなかったようです。仲の良かった妹エミーリアの死別があり、悲しみを乗り越えた後
作曲した変奏曲がシューマンの耳に止まり、音楽評論誌に紹介されて 公に賞賛を受けました。

 18歳の夏休みが終わって、初めて外国旅行をするチャンスが訪れました。父親の友人の教授が
ベルリンに行くときに連れて行ってもらえたのです。オペラやオラトリオを聴き、ピアノ工場や楽譜屋も
見学し、活躍中のメンデルスゾーンを見る機会もありました。

 この体験から多くの刺激を受けたショパンは、より広い音楽の世界を 外国で学びたい志を強く持つように
なったようです。


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