ドビュッシーの幼少期 

ドビュッシーの幼少期

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ドビュッシーの幼少期


         このページは、苦境にありながら その情熱をピアノに傾けて
       努力していったドビュッシーの幼少期について

       簡単に御紹介させていただきます。
 

 クロード・アシル・ドビュッシーは1862年8月22日、フランスのパリ近郊の町サン・ジェルマン・アン・レイで
生まれました。

 父のマニュエルと母のビクトリーヌは小さな陶器店を営んでいて、長男ドビュッシーの下には、妹一人と
弟三人がいました。

 ドビュッシーは額が少し突き出ていたため、成長するにつれて気にし始め、前髪をおろして額をかくそうと
するようになりました。その異風な要望のせいか、内向的な少年だったようです。

 両親が陶器の商売に失敗し、ドビュッシーが幼いころにパリに引っ越しました。当時のパリは、経済的に
不安定で失業者も多く、父も職を転々としていたため生活は苦しかったようです。

 1870年7月、フランスとプロイセンの間で戦争が勃発(普仏戦争)、パリを包囲されたフランスは1871年
降伏し、屈辱的休戦協定を結びました。(ドビュッシー8歳のとき)
 休戦に反対したパリの小市民や労働者はパリ・コミューンを組織し、父もそれに加わって政府軍に反対した
ため、数ヵ月後政府軍に敗北すると逮捕され、過酷な牢獄暮らしを送ることになります。

 働き手を失ったドビュッシー一家は前にも増して、生活が苦しくなりました。長男のドビュッシーは、
小学校にも通えず いっそう内向的になったといいます。

 ところが、ドビュッシーの父方の伯母で名付け親でもあるクレマンティーヌは子供好きでもあり、下二人の
弟妹を養育してくれることになり、ドビュッシーもかなりの時間伯母の家カンヌで過ごすことになります。
 カンヌは地中海岸コート・ダジュールの都市で、広々とした海と水平線の記憶が印象に残ったようです。

 ドビュッシーを最初に音楽の世界へ導いたのも伯母で、この頃ピアノ教師のもとで、レッスンを受けさせた
そうです。

 パリの母親の元に戻ったドビュッシーは、1871年秋から 新しい音楽教師モ―テ夫人について、本格的な
ピアノレッスンを受け始めます。モ―テ夫人はすぐれたアマチュア音楽家であり、ショパンの弟子だったとも
いわれ、詩人ベルレーヌの義母でもありました。
 ドビュッシーのずばぬけた才能を見抜き、レッスン料もとらず、この前途有望な少年がパリ音楽院に入学
できるように熱心にピアノを教えました。

 その結果、ドビュッシーはめきめきと腕をあげ、1872年秋 有名なパリ音楽院に わずか10歳で入学します。
さらに最少年者でありながら、国家奨学生に選ばれ、才能を伸ばすチャンスが到来したのです。

 パリ音楽院でドビュッシーはいくつもの賞を受賞いましたが、教師のいうことを素直にきくような従順な
生徒ではなかったようです。普段は内気で無愛想でしたが、ピアノを弾く時はすごい勢いで熱っぽい弾き方を
したようです。

 11歳〜13歳の3年間でソルフェージュや楽譜の初見・聴音等音楽の基礎を学ぶ中で目覚ましい進歩を
遂げたようです。教えていたラビニャックはドビュッシーの才能を認め、授業の後にも連弾したりして熱中して
いたようです。

 当時ワーグナーが現役で活躍していて、この頃ドビュッシーも、ワーグナーの音楽に強く感化されたと
いいます。

 ドビュッシーは毎年ピアノコンクールで受賞していたので、両親も期待していましたが、15歳ごろから
受賞できなくなった上、反抗的で退学させられそうな時が幾度もありました。
 パリ音楽院の保守的な体質に、公然と逆らっていたようです。

 1879年新設された伴奏法のクラスに登録してから、ドビュッシーの能力がフルに発揮され、その実力で
めきめきと頭角をあらわし始めました。数字付き低音の解読と実践、与えられた旋律に対する即興的伴奏づけ、
読譜、移調が主な教科内容でした。担任教師のオーギュストとは、教師と生徒という枠を超え、
互いを高め合ったといいます。

 よく1880年、伴奏法修了コンクールで1等賞をとり、作曲法上級クラスへ進級することになります。



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